特別連載 ダーティ・松本✕永山薫 エロ魂!と我が棲春の日々(6)

3/4

1/4 ■挿絵画家の悲劇
2/4 ■挿絵画家の悲劇
3/4 ■花輪和一氏とすれ違う
4/4 ■アルバイト生活に逆戻り

■花輪和一氏とすれ違う
花輪和一

永山 花輪さんはさいとうプロを辞めて、藤尾さんところにいたの?
松本 いや、全然関係ない。
永山 藤尾さんの弟子?
松本 どういう経緯かわからないけど、藤尾さんのところに絵を送ってきたらしい。山川惣治風の絵だった。藤尾さんが色々鍛えて、伊藤彦造風の絵になりました。あん時は一瞬すれ違ったぐらいで。真面目な青年でしたよ。黙々と無駄口叩かず。
永山 後に黙々と拳銃を作ったと(笑)。
松本 藤尾さん可哀想だったね。さいとうプロ、みんないなくなっちゃって、それが全部かぶさってきたんだけど、藤尾さん一人じゃとても背負いきれない。
永山 無理ですよ。だって藤尾さん一人だってやっていけなくなったわけでしょ。ムチャですよ。何人くらいさいとうプロ抜けたんですか?
松本 藤尾さんを頼って、「雇ってくださ〜い」って来たやつもいたし。その後、やまさき拓味さんも辞めた。後に『あずみ』を作る山本又一朗さん(※15)が三人ばかり束ねて、オリオン・プロだったかな? 小山ゆう、やまさき拓味さんらを集めてアシスタント派遣とかマーチャンダイジングの仕事など始めた。山本又一朗は口先だけで生きているような男でスタッフはカップラーメンで細々と凌いでいるのに彼は高級車乗りまわしてブイブイ~~♪……、ま良くある話でこんな男じゃないとのちに映画プロデューサーなど出来ないかも?
そして、その後スタジオシップ(※16)に合流しちゃって、シップが引き抜いたみたいな形になっちゃって、さいとうとうプロとしては面白くなかったんじゃないかな。小池一夫さんが抜いたわけじゃないんだよ。
永山 小池さんは、その前に辞めてましたよね。
松本 辞めてました。けど、結果的にシップに集まっちゃったから、さいとうプロ的には面白くないでしょう。抜けたのがサブチーフですから。叶精作さんも、後になりますけど最終的にサブチーフの3人が全員シップに移ったわけで。
永山 人が抜けたあとはどうなったんですか? 次々入ったんですか?
松本 何人か入ったらしいよ。後で出てくる津田くんとか。我々が抜けたあと、給料がちょっと上がったらしい(笑)。
永山 さすがに待遇改善しないとマズイと(笑)。
松本 そうだ、神江里見さんは、小池さんが辞める時、一緒にやめたんだっけな? はっきりわからないけど。
永山 藤尾さんの話は重いですね。
松本 我々は20~25、6歳。あの人は10歳くらい上ですから35、6歳かな?
永山 兄貴分ですね。
松本 あの人が煽ったんですけどね(笑)。
永山 しようがないなあ(笑)。それは辞めた若い人に責任感じちゃいますね。
松本 そうなんだよなあ。
永山 どんどんカネがなくなり、仕事も減る。
松本 出版社に行って、前借りして、借りるだけ借りて描きもしないで。少年画報社とか大変だった。ヤンコミの編集長だった桑村さんが(※17)が前借りで出してたらしい。後で聞いたら、責任問題になったみたいですよ。「このカネどうするんだ?」桑村さんがしょうがないからかぶった。結局、描かないまんま……亡くなってしまいました。
永山 う〜ん。今でいう鬱入っちゃったのかなあ。
松本 でしょうねえ。酒もウィスキーを燗で呑む。ムチャクチャですよ。酒場行っても喰わないんだよね。呑むだけ。あれ一番良くないんだよね。
永山 酒飲みに聞いたんだけど、その方が身体にいいって説も。酒でエネルギー摂取してるから、下手に食べない方がいいと。
松本 死んじゃったからなあ。
永山 酒飲みは死んだり、アル中になったりしますねえ。
松本 顔が黄色くなって。
永山 それって黄疸じゃないですか。
松本 うちに来たときも顔がむくんできたのを気にしてました。バケツ一杯血を吐いたとか聞きましたが、亡くなったときはみんなショックうけましたよ。
永山 肝硬変ですか?
松本  どうなんでしょう? 晩年は誰も会いにも行かなかったし、後で流れて来た話で、死んだらしいと。お兄さんがいて、みんなで、お線香でも上げに行こうと電話したんだけど、あちこちで借金してて、それの催促にこられるんじゃないかと思われたのか、結局行けなかった。そんなつもりはないし、線香の一本でも上げたかっただけなんだけど、来て欲しくなかったみたいで。

■脚註
※12:作中ではT・藤尾と仮名扱いになっているが、もちろん実在の人物。ここでは本編に準じて実名は伏せる。

※13:三島由紀夫(1925〜1970年)の葬儀は1971年1月24日築地本願寺で行われた。葬儀開始時、参列者は8,000人に達した。

※14:花輪和一(1947年〜)。1971年に『かんのむし』(『月刊漫画ガロ』)で漫画家デビュー。ダー松先生とすれ違ったのはちょうどその頃。


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