特別連載 ダーティ・松本✕永山薫 エロ魂!と我が棲春の日々(6)

電脳Mavo版『エロ魂!』第6回(原著第5章)

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1/4 ■絵物語と挿絵、60年代の少年漫画誌
2/4 ■挿絵画家の悲劇
3/4 ■花輪和一氏とすれ違う
4/4 ■アルバイト生活に逆戻り

■絵物語と挿絵、60年代の少年漫画誌

週刊少年サンデーと週刊少年マガジンの創刊号

週刊少年サンデーと週刊少年マガジンの創刊号


松本 サンデー、マガジンの巻頭の図解とか見たことあります?
永山薫(以下:永山) ありますよ、還暦ですから(笑)(※1)。60年代の『週刊サンデー』(※2)育ちですよ。幼稚園の時からサンデー読んでましたから。
ダーティ・松本(以下・松本)  小学校に入る以前は「少年」やら「冒険王」とかの月刊誌のマンガのみで、入ってからすぐにマガジン、サンデーの週刊マンガ誌が創刊されました。それまでの分厚い月刊誌とちがってペラペラの薄い雑誌だったのでがっかりした覚えがあります。
永山 幼稚園の頃、昭和33〜34(1958〜1959)年でしょ。だからまだ図解の時代です。ずっとサンデーでしたけど。読み物が多かったですよ。
松本 活字のページがまだあったんだ。
永山 どんどん減っていって行きましたけどね。
松本 はじめの頃は絵物語がありましたね(※3)。
永山 サンデーでもやってたましたが、僕が憶えているのは産経新聞に山川惣治さんが連載していた『少年エース』(※4)。

松本 山川惣治さんはまだ漫画描いてなかったよね。
永山 その頃は絵物語ですよ。
松本 月刊誌だとちょっとあったかもしれないな。
永山 俺の父親が工場に勤めてて、そこ行くと産経新聞が置いてあるんで、幼稚園の頃、それ見てました。
松本 弥生美術館(※5)でやってるじゃないすか、挿絵画家展覧会。
永山 定期的にやってますね。

松本 最近では髙荷義之展などやってましたが、去年? いや一昨年になるのか? 植木金矢展やってました(※6)。この人が裕次郎{のそっくり顔}を主人公にした絵物語を描いていて『鉄腕大学生』だったかな。脇を小林旭、宍戸錠、赤木圭一郎……とか日活オールスター{の顔}で描いていたのが楽しくて映画化してくれねぇかな~と思ったり……。何しろ絵がそっくりで……。そうそう植木さんといえばさいとうプロのマンガ誌『コミック乱』かな。何度か投稿されていて、その掲載作品をさいとう氏が見てびっくり!!
「お前等この方を知らないのか?! 忘年会にお呼びしなさ~~い!!」
 と叫んだとか誰かから聞いたなぁ、大西祥平さんだったかな? あの平田弘史先生も「植木先生に比べれば俺などヒヨッコ」などと……。

永山 さすがに植木金矢はリアルタイムでは読んでません(笑)。昔はマガジンやサンデーの図解見てても誰が描いたとか意識してませんでしたね。漫画は誰が描いたかって把握して読んでいるんですが。
松本 有名どころでは小松崎茂さん(※7)ですね。あの人の弟子が一杯いるんですよ。
永山 小松崎さんは図解と漫画とプラモデルの箱の巨匠。少年向けジャンルの挿絵って戦前からありますよね。『少年倶楽部』の時代から。

松本 雑誌『少年』には乱歩さんの『怪人二十面相』(※8)が載っていて、土蔵の中で蝋燭の火をともして書いている……などという伝説を子供心に信じたりしたものです。
『ヒッチコックマガジン』の編集長をやっていた小林信彦が『回想の江戸川乱歩』でそのことを「馬鹿馬鹿しい伝説」などと書いてましたが、乱歩さんは戦後『ぺてん師と空気男』くらいしか書いていないんですね。ほとんどは戦前の作品。
永山 そういえば、昔、テレビで『少年探偵団』(※9)やってたじゃないですか。
松本 そういうのを見てイメージが作られたりするんですよ。
永山 乱歩はテレビ版が気に入らなかったそうですよ。小林少年が可愛くなかった(笑)。

松本  その趣味は、小林信彦は否定も肯定もしてませんが、実際の行為はともかく趣味はあったでしょうね。こないだ知り合いに聞いたら江戸川乱歩賞60周年だって。
永山 還暦ですね(笑)。
松本 調べてみると、今は漫画やアニメが叩かれるけど昔は探偵小説はよろしくないと随分叩かれたみたいですね。伏せ字だとか、削除とか。まるごとダメだったのは『芋虫』だけ。あれは反戦的な思想で描かれたという人もいるけど、本人は全然そういう意図がなかったみたいですね(笑)。さすがに戦時中になっちゃうと完全にダメ。乱歩は読めなくなっちゃう。
永山 戦中に『偉大なる夢』って戦意高揚小説書いてます。昔、春陽堂文庫の乱歩全集で読んだんですが、今でいう架空戦記みたいな話。必殺兵器を作って、アメリカを攻撃するところで終わり。
松本 そんなの書いてたの(笑)。じゃあ、全集とか見れば残ってるんだ?
永山 今でも読めますよ。

松本  戦後、自由に書けるようになったので、まわりからどんどん書くように言われたもののほとんど書かなかったのはすでに創作能力が減退していたからかな。(※10)。戦後は編集者、評論家としての仕事の方が大きい。評論集『幻影城』(1951年)と推理小説誌『宝石』。小林信彦を『ヒッチコックマガジン』の編集長に推薦したのも乱歩だ。大御所になると若いヤツを育てようとする(※11)。
永山 特に推理作家がそうなのかもしれないけど、歳取るとダメですね。知り合いにアガサ・クリスティのファンがいるけど、晩年の作品はダメだって。
松本 乱歩が名作を連発してたのは10年くらいですかね。
永山 純文学とかだったら、アイディアじゃない部分で読ませることができるんですけど、ミステリは頭固くなってくるとキツイんじゃないですかね? 大体歳取るとアイディアが枯渇して文章がくどくなる。
松本 村上春樹なんかバリバリ書いてるなあ。村上龍はいいの書いてるとは思えない(笑)。どうなんですか?
永山 テレビ出てればいいんじゃないですか。
松本 企業人と(笑)。
永山 成功者の話訊いてりゃいいって、楽だわ。小説バリバリ書いて欲しいですよ。
松本 昔のエッセイ読むととんがってたなあと(笑)。
永山 若い時はドラッグ&セックス。今や政治経済金融ですから。
松本 『すべての男は消耗品である』(集英社、1987年)の文庫版(1993年)に山田詠美が「こんな本、ロクなもんじゃない」ってボロカスに解説書いてて、笑いましたよ。

■脚註
※1:対談収録日は永山の誕生日9月11日。めでたく還暦を迎えた。

※2:『週刊少年サンデー』(小学館)は1959年3月17日、4月5日号として創刊。

※3:『週刊少年サンデー』では絵物語やイラストで、小松崎茂、高荷義之、伊藤展安、前村教綱、石原豪人、長岡秀三(秀星)が活躍。

※4:『少年エース』は『産経新聞』連載(1959年12月7日〜1961年8月4日)。

※5:弥生美術館は東京大学の裏側、弥生坂にある私設美術館。挿絵画家・高畠華宵のコレクションを所蔵・公開している。また竹久夢二美術館も併設。華宵と夢二の常設展の他、挿絵画家、漫画家、イラストレーターの作品や少年少女雑誌をテーマにした企画展を開催している。弥生美術館

※6:「鋼の超絶技巧画法 高荷義之展」は弥生美術館にて12月25日まで開催。
植木金矢(1921年〜)。1950年頃、挿絵画家デビュー。『風雲鞍馬秘帖』(1953年)がヒット。後には青年劇画ジャンルで主に剣戟物で活躍。作品の一部はギャラリー植木金矢で読むことができる。2012年、弥生美術館で『伝説の劇画師 植木金矢展』が開催された。同展の詳細はInternet Museumを参照。

※7:小松崎茂(1915〜2001年)。挿絵画家、絵物語作家、漫画家、ボックスアート、メカデザインの巨匠。『地球SOS』(1948年)、『大平原児』(1950年)など、SF、ウェスタン活劇などで人気を集める。プラモデルのボックスアート、特撮映画のメカデザインなど様々な領域でも活躍。山川惣治のライバル。弟子は高荷義之、上田信など。

※8:江戸川乱歩『怪人二十面相』(1936年)。初版の挿絵画家は小林秀恒(1908〜1942年)で、小林の造形したビジュアルが二十面相のイメージを決定づける。2009年には弥生美術館で「小林秀恒」展が開催された。小林の唯一の弟子が小松崎茂。息子の小林弘隆(明日蘭、イラコバ 1938〜1994年)は小松崎の弟子でMGC社員としてモデルガンのボックスアートで知られる。また、孫の小林秀樹もイラストレーターである。
小林秀樹公式サイト studio KOPAN

※9:『少年探偵団』シリーズは『怪人二十面相』(1936年)から、『大金塊』(1939年)までの初期4作が『少年倶楽部』(大日本雄辯会講談社)で連載され、戦後、講談社から分社した光文社の『少年』で連載再開。その他、同社『少年倶楽部』『少年クラブ』『少女クラブ』にも掲載。
 単行本は戦前の大日本雄辯会講談社から初期4冊が刊行。戦後、光文社が『少年探偵 江戸川乱歩全集』(全26巻・1947年〜)を刊行。挿絵は山川惣治、梁川剛一、伊勢田邦彦、谷俊彦、古賀亜十夫、中村猛男、白井哲、石原豪人、岩井泰三、深尾達哉などが担当。ところが同全集は第23巻『鉄人Q』(1960年)で打ち止めとなってしまう。これは新たに企画した函入り豪華本『少年探偵団全集』全26巻の方が儲かると考えたためらしい。読者的にはいい迷惑である。ところが武部本一郎が函絵を描いた豪華本は価格が既存全集の倍の定価だったこともあり、さっぱり売れず第一回配本(1961年)の5冊で打ち止めとなってしまった。その後、光文社文庫から『江戸川乱歩全集』(全30巻・2004〜2006年)が刊行され、少年探偵物も全編収録された。ただ挿絵はない。
 他にも少年探偵物の一部を収録した同社『痛快文庫』シリーズなど色々あるが、戦後世代になじみ深いのはポプラ社版の『少年探偵 江戸川乱歩全集』(全46巻 1964〜1973年)だろう。柳瀬茂がカバーを、柳瀬茂、武部本一郎、岩井泰三、山内秀一、木村正志、中村英夫、伊勢田邦彦、吉田郁也、柳柊二、中村猛男が口絵を担当。この全集は乱歩の大人向け作品を子供向けにリライトした20作を加えていたが、後に乱歩オリジナル版のみの全集『少年探偵 江戸川乱歩』(全26巻 1998年)を刊行。藤田新策がカバーを担当している。
表紙絵ギャラリー
 乱歩生前のテレビドラマは『怪人二十面相』 (1958年11月23日~1960年6月5日 日本テレビ)、『少年探偵団』( 1960年11月3日~1963年9月26日 フジテレビ)。

※10:乱歩の作家としての最盛期は大正〜戦前までで、戦後は少年物、評論、編集が中心になる。Wikipediaによれば「昭和33年ごろから乱歩は身辺整理を始め、外出も減り、口述筆記が多くなる。昭和38年にはパーキンソン病が悪化、筆を執れなくなる」(http://goo.gl/BRPaVW)とある。1965年に没。

※11:『宝石』は1946年に乱歩の協力を得て、岩谷書店より創刊。1956年に独立し宝石社からの刊行となる。1957年、経営が悪化したため8月号から江戸川乱歩が編集長に就任し、私財を投入。一年で立て直しに成功。乱歩が編集長を勤めたのは1962年頃までだが、実質的には50年代末には実務は後進に委ねていた模様。同誌からは香山滋、山田風太郎、島田一男、土屋隆夫、鮎川哲也、山村正夫、佐野洋、黒岩重吾、笹沢左保、大藪春彦、河野典生、星新一、筒井康隆がデビューしている。その後再び経営が悪化し、1964年に廃刊、倒産。光文社が版権を買い取り、誌名が残ることになる。


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