特別連載 ダーティ・松本×永山薫 エロ魂!と我が棲春の日々(9)

電脳Mavo版『エロ魂!』第9回(原著第8章)

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1/4■新宿職安通りを歩く
2/4■秘密捜査官ブラックリスト誕生前夜
3/4■ドクターペッパーのサイレンサー
4/4■ついにエロ漫画に開眼!

■新宿職安通りを歩く
石井さん
永山 今回は、最初に石井始(※1)さんが登場します。
松本 石井さんは最初が日本雑誌(明文社)。それから、大亜出版に移って、その後サン出版では『漫画大飯店』とか『Gekiga zipper(劇画ジッパー)』(※2)の編集長。AVの監督、出演もやってて、東京三世社で出していたAV雑誌の編集も。
永山 『オレンジ通信』ですか? 80年代中期に、AV雑誌ってけっこう出たんですよ。僕は『ビデオTHEワールド』(※3)でしたけど。

オレ通終刊号

松本 あと、海外のアニメの『ザ・裏アニメ』。そんなのもやったり。一時は九段のドカーンとしたマンションで社員10何人か使って、Macが何十台も並んで。給料日が鬱陶しいって(笑)。「ああああ、もう給料日がきた!」とこぼしてました(笑)。
永山 10何人いたらそれだけで、500万近く一気に出て行きますよ(※4)。
松本 今は隠居かなんか知らないけど四国在住です。石井さんはずーっとエロ文化一筋ですね。実話誌、漫画誌、グラフ誌、ビデオ誌もやってたから。ここに登場する日本雑誌って知ってます?

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永山 僕も自販機雑誌(※5)で書いてましたけど、たしか土漫(土曜漫画社)系の会社だったんで、日本雑誌はよく知らないんですよ。
松本 自販機雑誌の出版社ってどれくらいあったんだろう?
永山 一杯ありましたよ、社員2〜3人とかでも何冊か作れますから。僕が仕事貰ってたのは、スティーブ・ジョブズとは無関係の(笑)池袋のアップル社。土漫出身のヌシみたいな経理のおばちゃんがいて、「土漫には売れない頃の、薄汚いかっこうした滝田ゆう(※6)が遊びにきてたんだ。あんたも頑張んだよ」と若造を叱咤激励していました。
松本 アップル社の実話誌には中島史雄さん(※7)も描いてた。編集部にお土産持ってきたって?(笑)。
永山 そうなんですよ。編集部に原稿届けに行ったら、「中島先生のお土産のお菓子があるよ」ってオバちゃんがくれたんで、いただきました。中島さんが描いて描いてたのはアップル社が湯島にあった時代ですね。池袋時代にはすでに再録だったんですが、漫画に「湯島の性堂アップル社」なんてギャグが描いてあった(笑)。
松本 あの時代、出版社にお土産持ってくる人って珍しいなあ。大人ですねえ。
永山 石井さんに話を戻しますが、明文社に亀和田武(※8)と同期入社。
松本 亀和田さんは明文社クビになって劇画アリス。明文社があったのが、職安通り(※9)。今は職安って言わないのか。
永山 ハローワーク、ハロワですね。背景の写真は2002年?
松本 今どうなっているかなとぶらぶら、酒飲むついでに石井さんと歩きました。このあとこのあたりがコリアン・タウンになっていくですねぇ。
永山 次のページで、いよいよ怒濤の1975年。背景、平和信用のビルですけど、ここは?
松本 新宿の西口に陸橋ありますよね。陸橋に上るとガードが見える。歌舞伎町が向こう側にあって、その陸橋……初めの方に出てきたあそこですね、Mavo版の第二話、原著の第一章の最後、大久保清の後のページに出てくる場所です。


■脚註
※1:石井始:『オレンジ通信』の元編集長。AV監督&男優としてはダイヤモンド映像で、謎の新興宗教教祖監督・麻魔羅少将として活躍。現在でもネット配信で桜樹ルイ、野坂なつみなどの主演作品を観ることができる。

※2:『漫画大飯店』と『Gekiga zipper(劇画ジッパー)』は共にサン出版の子会社・考友社出版が発行。

※3:『オレンジ通信』は2009年1月に27年の歴史に幕を下ろした。『ビデオTHEワールド』は白夜書房のAV情報誌。1984年1月号の創刊号から2013年6月号の休刊まで続いた。編集長は現コアマガジン社長の中沢慎一。

※4:『オレンジ通信』の頃であれば、2008年の中小企業の平均月収は40万弱。若手が多くて30万としても15人いれば450万円の給与支払が発生する。

※5:70年代後半から80年代にかけて、エロ文化を支えたのがビニ本と自販機雑誌だった。自販機雑誌はヌードグラビアが売り物の実話誌と三流劇画誌が中心だった。基本的に粗製濫造で、編集長がカメラマンとライターを兼任して、何冊も同時進行することも珍しくなかった。編集長一人じゃ間に合わない部分を新人ライター、学生ライターが穴埋めしていた。もちろん原稿料は格安だったが、「何を書いても原稿用紙が埋まってればオーライ」的なアバウトな姿勢だった。また編集者の多くが60年代末から70年代にかけての元全共闘活動家や、学園紛争体験世代であり、反体制でアナーキーな人間が多かったこともあって、いわゆるゴールデン街や二丁目にたむろする無頼な若手文化人が寄稿する雑誌もあり、アンダーグラウンドな若者文化の一端を担っていた。その中で今でいうサブカルの先駆となったのが、高杉弾、山崎春美が編集する『Jam』だったが、このへんを書き出すと本筋から逸脱するのでやめておく。あれほど隆盛を極めた自販機雑誌だったが、規制強化により自販機専門の出版社は絶滅。2015年5月現在、東京都内には29ヶ所、82台が現存している。

※6:滝田ゆう(1931-1990年)。『のらくろ』で知られる田川水泡の内弟子出身。石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄など綺羅星の如き才能を輩出した『漫画少年』でデビュー。貸本漫画を経て、『ガロ』の常連執筆陣に。『寺島町奇譚』(1968-1970)でブレイク。文芸誌に活動の軸を移し、テレビにも多数出演。

※7:中島史雄(1950-)。真崎・守のアシスタントを経て三流劇画デビュー。当時はド劇画タッチだったが後に画風をソフト化し、レモンセックス派とも呼ばれた。初期のロリコン漫画誌でも活躍。その後、『週刊ヤングジャンプ』『ビジネスジャンプ』に活動の場を移す。現在では電子書籍での小説『Refrain-リフレイン-』出版や専門学校講師としても活躍している。代表作『幼女と少女がもんちっち』(けいせい出版、1980年)、『時には薔薇の似合う少女のように』(集英社、1993-1997年)、『OL株式会社』(双葉社、1993年)などがある。

※8:亀和田武(1949-)。自販機劇画誌『劇画アリス』(1977〜1980年)の元編集長。その後、コラムニスト、SF作家、ワイドショー司会者、コメンテーター、競馬評論家として活躍。

※9:職安通り(北新宿百人町交差点から新宿七丁目交差点に至る通り)



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