特別連載 ダーティ・松本×永山薫 エロ魂!と我が棲春の日々(8)

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■ホラー漫画専門誌に持ち込んで玉砕!

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永山 そして希望を抱いて、ホラー専門誌『劇画No.1』(※23)に持ち込んだけど休刊決定していたという悲劇(原著p130)。
松本 「この号」で終わりって言われてズルッとこける(笑)。せっかく描いたのに。
永山 そう言えばホラー専門誌は女性向けが生き残ってますね。『HONKOWA』(※24)とか。
松本 『エクソシスト』(※25)が流行った頃にもブームがきたんだ。貸本漫画でもホラー漫画があったくらいだから、潜在的にずーっとファンはいるんですよ。そのへんを掘り起こしやってたんだろうけど、あれも浮き沈みがけっこうあるから、沈むとすぐに『劇画No.1』みたいに雑誌がなくなっちゃう。

劇画ナンバーワン

永山 ネットで表紙拾ってきた74年4月号に出ている人は、大谷かおる、叶バンチョウ(※26)。
松本 けっこうエロ漫画に流れてくる人多いね。ベテランですよ。
永山 この号見るとけっこうお色気入ってますよ。
松本 そうですね。シフトしたのかな。エロとホラーは相関関係ありますから。
永山 スプラッタブームの頃、白夜書房からもアンソロジー『Halloween show』(※27:1985年)やSF&ホラーのアンソロジー『METAL KIDS!』(※28)ってのが出て、くり鋭斗とか生きのいいのが描いてました。ホラーものって波がありますよね。
松本 映画もそうですよね。こないだはジャパニーズホラーが流行ってたけど。
永山 最近の漫画はゾンビと吸血鬼ばっかですね。
松本 10年くらいするとまた違ってくるかもね。波があって。
永山 それに備えて、先生も100枚くらい描いておくとか(笑)。
松本 それは使えるかもしれないね。
永山 『劇画No.1』はこのあと1年くらいでなくなっちゃうんですね。
松本 なくなるんですよ。
永山 ホラー漫画誌なのに何故か時代劇が入っている。千石善史さんの怪奇超能力時代巨編「忘恩非情剣」。
松本 編集さんもつきあいがあるから。この人、ホラー描けないけど……みたいな感じだったのかも。
永山 先生が持ち込みした作品は、発表できたんですか?
松本 だいぶ後になって『エロジェニカ』(※29)に載せました。
永山 じゃエロ漫画だった?
松本 いや、たしかねえ、1978年に発禁騒動があってエロいのは自粛って時があったんで、じゃあ、この時にでもと。
永山 ちょうどいいのがあるよと(笑)。
松本 それが、けっこう評判よかったんだよ。わりと面白いと。アメコミっぽいテイストの。アメコミはホラーっぽいのけっこうあったから、そういうの一杯買ってきて、ああいう味を出して描いてみたんですよ。
永山 その後がいよいよ画報社の話ですね。
松本 すでに少年画報社は何本か短編描いてました。解説対談第5回でも触れた「汚れたジャングル」や「グッドバイブラザー」ですね。
永山 そこで初連載の話がきた。
松本 拳銃セールスマンのお話「ザ・セールスマン」の短編をちょこっと描いたですよ。それが評判良くて、これを主人公にして連載しようと。添田さん(※30)が骨を折ってくれたらしい。三人で作ってたらしいんですよ。二人が反対したんでダメになった。添田さん「自分の意見が通らない。面白くない」って(原著p132)。
永山 添田さんの若い頃って知らないんですけど。
松本 当然、当時は若いですよ(笑)。私より幾つか上で。いい人なんだけどねえ、理屈が多い。なんかをこうするために理由が必要らしい。好きなだけでいいと思うんだけど(笑)。
永山 添田さん、先生のカフェ百日紅(※31)の個展にお見えになってましたね。
松本 体調が良くないみたいだったけど。俺くらいの歳になると会える時に会っておこうってなるからね。『エロ魂!』始めたのもね、昔の人に会って話を訊けるからってのもあったんですよ。
永山 人によってはそれが最後の機会になるかもしれない。
松本 取材を兼ねて、「こういうのやってんだけど、ちょっと会って話を」と昔話に花が咲くと。けっこう描いてて楽しい作品でしたね。
永山 このペースで行くとあと2年くらいで原稿のある分が公開されるわけですよね。
松本 そうですね。
永山 その後は描き下ろしになるわけですね。
松本 それまで生きてるかどうか(笑)。
永山 取材しないと。
松本 今ですら連絡取れないのに、いなくなってるかもしれませんよ(笑)。会社にいる人だったら連絡つくけど、会社やめちゃったら連絡つかない。まあ、つく人もいますけど。たまに嘱託で顔出してるとか。だんだんと証言を引っ張ってくるのも難しくなる。
永山 俺世代でもポロポロと亡くなっていきますからねー。
松本 少年画報社の話に戻しましょう。行くと必ず組合闘争やってた。Twitter見てたら同じようなこと書いている人がいたなあ(笑)。行くと赤い腕章して鉢巻締めて、しょっちゅう賃上げ闘争やってる。
永山 光文社も昔、そうだったって話聞いてますが(笑)。
松本 少年画報社があって、こっち側に秋田書店、笠倉出版があったんですが、秋田も引っ越しちゃったし、笠倉は上野に。少年画報社には何本か載せてもらったけど短編だから、見た人も見ない人もいて、そこがつらいところですよね。
永山 日本文芸社の『週刊漫画ゴラク』(※32)にも津田さんと持ち込みに行ったわけですね。
松本 わりと反応が良かったんですが、『漫画ダイナマイト』で仕事がくるようになって行かなくなった。もし仕事がこなかったら、ゴラク編集部に何回か通ったかもしれませんね。
永山 後に久保書店を継ぐ久保さん(※33)とは日本文芸社で会ったというわけではなかったんですね?
松本 働いてはいたんだろうけど、後で聞いたらすれ違い。久保さん、最初から久保書店にいたわけじゃなかったんだ。後で聞いたら、親元で働くのはいやで離れたって。それで日本文芸社。しばらくして呼び戻されて、ハンター作った。今思うと身内のところで仕事はしたくなかったんでは? ゴラクでは谷岡ヤスジさんとかいろいる担当していて
本人に訊くと色々面白い話一杯ありそうなんだけど。
永山 インタビューに応じてくれないんですよ。随分前から頼んでるんですけど。
松本 本書いてくださいよって言ったんだけど。いや、何にもしないって(笑)。

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永山 『漫画ダイナマイト』これがもう廃刊になってるんですね。原著ではまだ生き残ってますけど。これが休刊号の表紙です。描いているのが、池田圭一さん(※34)とか、冨田茂さん(※35)とか。
松本 最後の頃はほぼ再録じゃないかな。わかんないけどね。
永山 文芸館というのは編プロなんですか?
松本 最初の頃は児島さん一人で。途中、数冊出すようになって3~4人いたときも。
永山 版元は辰巳なんですね?
松本 40年前からずーっとやってた。『漫画ダイナマイト』がメインで、一時は『漫画グランプリ』(※36)とか
『アイリス』というレディスコミックの編集もやってました。津田くんはけっこうやり手の編集でしたね。元さいとうプロで同期のアシスタント仲間がマンガを持って来てもエロマンガに使えないと採用しないプロフェッショナルなところもありましたよ。
永山 津田さんがダイナマイトの編集者に?
松本 ダイナマイトでも彼、描いてましたから、仕事がなくてぶらぶらしてる時に声かかって、児島さんから手伝ってくんない? って。しばらくエロ漫画誌編集者の時代があって、これは後で描きますけど。当時はまだ持ち込みに廻ってた。最初は一人で廻ってたんだけど、津田くんと知り合ってから一緒に廻ってみようかってなった。
永山 エレベータのない5階って今時ないですよ(笑)。
松本 かなりあとまでありましたがさすがにもう無いか? 文芸館は最盛期は新宿で事務所かかえて忙しくやってましたが、雑誌も『漫画ダイナマイト』だけに戻ってからはまた神保町に戻って最後は自宅で作業……という編プロさんのよくあるパターンです。
永山 この頃まだ一冊丸ごとエロというのは珍しかったと書かれてますが。
松本 珍しいですね。
永山 この直後からですかね? 怒濤の75年がやってくるの。
松本 そうですね。だからなんでもいいから仕事が欲しい。上手い具合に、打ち合わせもなしに、ページ数だけ聞いて、これはありがたいですね。当時はそれが当たり前だったのかなあ。あまり打ち合わせした記憶がなくて。だんだんと打ち合わせするようになったんだろうけど、編集部にもどうやって作っていったらいいのかわかんない時代ですよ。
永山 まだノウハウが蓄積されていなかった。
松本 そうなんですよ。こんなのが人気あるとか、こういうのを描いてくださいとかそういうのはないんだ。初めて作るから、作ってる本人もわからない。こっちだって、裸描いたことない。エロ漫画なんて世の中になかったから。見ることもなかったから好き勝手に。ちょうどそのころの『劇画No.1』のあとの、大須賀さんの方から話があって、それから怒濤のようになって。
永山 それで『漫画ポポ』で「秘密捜査官」シリーズを連載スタート。

秘密捜査官

松本 向こうからの企画で活劇的な要素も入れたエロということで。しかしSM漫画専門誌なのに『ポポ』なんて可愛い名前なのかわかんないですね(笑)。「ポ」じゃなくて「ボ」だったら大変ですけど(笑)。
永山 九州じゃ売れない。売ってても恥ずかしくて買えない(笑)。『漫画ポポ』が見つからなかったんで、見つかり次第ということにして、お持ちいただいた資料を撮影します。これは『漫画ボン』ですね。

漫画ボンs

松本 『漫画ボン』のボンは「bon【形】〈フランス語〉良い」 から来てるんじゃないかと?
永山 えーっ!? 「漫画本」じゃないんですか?
松本 そっちかも? ボン・ナイフというカッターもあったのでどうかな?

伊東元

松本 ちょうど伊東元気さんの作品がありましたね。
永山 切り絵なんですね。

おりがみ

松本 芋版もやってました。現在は、折り紙のボランティア。こういうの作って、学校に教えに行ってる。

大人の絵本

永山 おっ、やたら上手い手塚タッチがあると思ったら久松文雄さん(※37)だ。一瞬、田中圭一さん(※38)、この頃から描いてたんだって思いましたよ(笑)。
松本 雑誌はそういう拾いものがあるんだ。意外な人が描いている。

家紋

永山 おもしれー。みなもと太郎先生(※39)、この頃から漫画界の鬼才って呼ばれたのか? 家紋漫画って(笑)。この頃はエロ劇画誌ではないですね。
松本 普通の青年劇画誌。かわぐちかいじ、後の巨匠も描いてますね。
永山 で、いよいよ次回、ダーティ・松本がエロ劇画に開眼するという大展開です。というところで、今回はこのあたりで!

脚註
※23:明文社発行。同社については次回本編中で解説あり。1956年創刊の実話誌『実話と秘録』(広晴社)の発売元(途中から)、『投稿ドッキリ写真』、グラフ誌『LEMON PRESS』などを発行していた。

※24:朝日新聞出版。

※25:1973年、ウィリアム・フリードキン監督作品。

※26:少女漫画家。少年漫画家。モンキーパンチそっくりの絵柄で本人の別名義か?と話題になった。『ヌスット』(『週刊少年ジャンプ』1970年、連載)。

※27:1985年。スタジオのんき編集、みやすのんきプロデュース。
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※28:全2巻。1986年。BDの『HEAVY METAL(Métal Hurlant)』を意識したニューウェーブ。
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※29:三流劇画御三家の一誌。1975年創刊。後に登場する高取英は三代目編集長。

※30:添田善雄。少年画報社の数々の雑誌の編集者、『まんが笑ルーム』、『斬鬼』などの編集長を務めた。小林よしのりの『風雲わなげ野郎』には主人公のライバルとして画報小所属の「添田善雄」が登場する。小林の担当編集者だったが、後の「ゴーマニズム裁判」では小林を批判。定年間際には『少年画報大全』を編集。

※31:「カフェ百日紅」「さるすべり」ではなく「ひゃくじつこう」と読む。ダーティ・松本個展『千一夜〜悦楽万華鏡〜』は2013年4月18日〜5月6日開催。2015年4月23日から5月18日まで第2回『ダーティ・松本祭り 淫花蝶の舞踏』を開催予定。
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※32:1964年に『週刊漫画娯楽読本』として創刊。現在まで続く老舗週刊漫画誌だ。

※33:久保直樹。最近、引退した久保書店の前社長、編集長。現在の社長は久保達哉。

※34:劇画家。『くちびるの予感』(1992年、蒼竜社)、『愛奴悶絶』(2001年、松文館)、『隣の奥さんは蜜の味』(2002年、久保書店)、最近は『恥辱人妻百態』(2013年、松文館)などKindle本も刊行。

※35:劇画家。レディースコミックも手がける。『微惑の女たち』(1986年、辰巳出版)、『知覚の扉』(全2巻、1987〜1988年、辰巳出版)など膨大な作品がある。電書多数。
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※36:1976年創刊。

※37:1943年生まれ。漫画家。手塚治虫のアシスタントを経てデビュー。代表作は『スーパージェッター』『冒険ガボテン島』『風のフジ丸』(原作・白土三平)。近年は歴史漫画を描いている。

※38:1962年生まれ。漫画家。手塚パロディで有名。代表作は『田中圭一最低漫画全集 神罰』(2002年、イーストプレス)

※39:1947年生まれ。漫画家。代表作『風雲児たち』(1979年〜、潮出版社→リイド社)。図版をよく見たら「鬼才」ではなく「珍才」って書いてあった……。


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