というわけで、急遽Webスナイパーさんから「安田理央さんの新刊『痴女の誕生』をネタに安田さんと対談しませんか?」と召喚されまして、都内某ビルまで行ってきました。
安田さんとの対談は七年ぶり。詳しくはWEBスナイパーの「短期集中連載 永山薫×安田理央 対談『アダルトメディアの現在・過去・未来』」を読んでください。たった七年なんだけど、ずいぶん俺の風貌も変わってますね。おっと、WEBスナイパーはアダルトコンテンツなので18歳未満の読者はご遠慮ください。ごめんね。
さて、今回の三時間に及ぶ濃い対談の詳細については来月公開されるWEBスナイパーの本編を読んでください。
もちろんベースになったのは『痴女の誕生』。
これまでにもアダルトビデオについて書かれた本はあったわけですが、本書は「アダルトビデオでは女性をどう描いてきたのか?」という、表現史的な問いかけがなされていて、それが大層刺激的なんですね。例えば「少女」というアイコンがステロタイプな清純イメージから、コギャルに、ギャルに、JKにと時代を経るごとに変遷していく。また、アイドルから、淫乱、痴女、熟女と様々な変化も起こる。
この変遷史を単純に、
「男にとって都合のいい女性像の移り変わり」
だと見るだけでは、コトの半分も現実は見えてきません。
確かにアダルトビデオは男性クリエイターが主導する男性向けメディアであることは事実ですが、そこにかかわってくる「女優」が、男性監督に操られる人形だとは限らない。
女優が男性監督の思惑を超えてしまうことがあるわけです。しかも女性監督も多い。
これは二次元の世界ともパラレルです。エロ漫画家の3割は女性で、実は女性読者も少なくない。
男のために男が作る男向けのエロなんて構図は表層的なものでしかない。女性クリエイターが男性向けというタテマエでちゃっかり自分のエロを表現しちゃってるケースもあるわけです。
で、そのへんのアレコレは対談を読んでね、できれば、先に『痴女の誕生』を読んでおくとより楽しめるよと。さらに『増補エロマンガ・スタディーズ』も読んでおくとさらに立体的に楽しめますよと。以上、永山薫でした
痴女の誕生 アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか