■いせしまこん秘宝館 海明寺裕―わらばんしまんがの世界―
星雲賞授章式からようやく部屋に戻って、温泉に入って、さすがに寝てないので夜の三連続企画にそなえて、仮眠して、晩ご飯食べてグダグダしているうちに夜10時からの企画「いせしまこん秘宝館 海明寺裕―わらばんしまんがの世界―」の展示解説へと駆け付けました。
■出演者
海明寺裕(漫画家)
小杉あや(漫画家)
展示解説:永山薫 22:00~
展示自体は20:00~27:30で、筆者は1時間程度、お話するというダンドリ。
展示の内容は海明寺裕さんの「自分のため」だけにわらばんしに書き溜めた、いわば「押し入れ画集」の大公開。ヘンリー・ダーガーの押し入れ画集(おちんちんのついた女の子たちが血みどろの戦いを繰り広げる大長編絵物語)は本人が「死んだら焼いてね」と遺言したにもかかわらず公開され、アートとして高い評価を受けました。故人的には「や〜め〜て〜」かもしれませんが、死んだら文句も言えません。
海明寺さんに限らず、漫画家の多くは押し入れ画集を持っています。手塚治虫だって、開かずの引き出しを開けてみたら色々出てきたそうです。ほんの一部公開されましたが、全貌が明らかになるのはいつのことやら? 存命中に押し入れ画集をエイヤと公開した海明寺さんは、ヘンリー・ダーガーよりも、手塚治虫先生よりもオープンな作家だと言えるでしょう。
海明寺さんわらばんしまんがは膨大な量で、なおかつエロいです。『K9』等で知られる「畜化幻想=人間犬」の原型あるいは漫画化のためのデッサンがこれでもかと描かれています。
どんな解説をしたか? 解説のベースには2014年、風俗資料館で行われた同展冊子に掲載した拙文を使い、一部改訂した形で行いました。現在、一般には公開されていないので、改定版を公開しておきましう。
欲望の扉を開けよ!
海明寺裕の藁半紙漫画に触れて(改訂新版・要旨)
永山薫今回は海明寺裕さんの藁半紙漫画展の解説というか紹介を仰せつかりました。
海明寺裕というペンネームは、改名自由であり、つまり自由に名前変えちゃうよという意味と、開明獣、つまり『山海経(せんがいきょう)』という古代中国の地理書に紹介されている神獣の名前を合わせたトリプルミーニングです。
開明獣は「天帝の下界の都である崑崙の丘にある九つの門を守っている。その姿は大きな体で虎に似て、九つある首は全て人間の顔だという」ことです。
諸星大二郎の『孔子暗黒伝』にも出てきますが、もうちょっと簡略化された姿で描かれていますね。
つまり九つの顔を持ち、名前を自由に変化させることができるのが海明寺裕ということになります。今回の展示にいらっしゃった皆さんの中に、ひょっとして海明寺裕さんをご存知ない方がいるかもしれません。
私が海明寺裕の作品と出会ったのは『亡國星』(1995)という単行本でした。
ざっと20年前ですね。
これ、ありがたいことに赤松健さんの『マンガ図書館Z』にも入ってますし、Kindle版もあるし、元の本もAmazonで1円送料別で購入できます。
どんな内容かというとSFです。明治42年、ハレー彗星接近による地殻変動で日本列島が地続きになってしまって、大日本帝国は半ば壊滅。
そこに日本を我が物とせんとする怪人黒蜥蜴が跳梁跋扈し、それを阻止せんと立ち向かう大牧場みどりと白鳥元帝大教授というパーストフューチャー、レトロフューチャー、スチームパンクなお話です。
絵は上手いし、話も面白い。でも若描きです。
こういう伝奇的な漫画を描くには、SF的なオタク的な歴史学的な教養が必要なんですが、そうした教養が前に出すぎている。……と初見の時は感じたんですが、20年後の今読むと時代が追いついてきたので、衒学趣味も緩和されて、いい感じで読めます。ドリル付きの海底軍艦とか好きな人も必読です。さて、海明寺さんの押し入れ画集であるわらばんしまんがの公開は快挙です。もはや言い逃れは効きませんね。畜化ファンタジーもプランパー趣味もその場その場の思いつきではなかったということがはっきりわかります。
漫画、特にエロ漫画の場合。作者はおおむね二種類に分かれます。
一方に、お仕事としてエロ漫画を描いているルーティン・ワークの作家がいて、他方には、描かざるを得ない内的衝動を抱えた作家がいます。
エロ漫画は表現であると同時に実用品、オナニー用のツールとして優れていれば、作家の内面などどうでもいいようなもんですが、実はそんな単純な話ではありません。海明寺さんはSF漫画出身です。先に挙げた『亡國星』を最初に読んだ時は、若描きだなと感じたわけですが、エロ漫画を描き始めた途端、海明寺裕はとんでもなく化けました。
一般の漫画を描いていた作家がエロ漫画を描くと失敗することが多いです。
エロ漫画なんかこんなもんでしょという態度が見え見えだったり、仕事がないから仕方なく描いてるとしか思えなかったりします。
海明寺さんはそうではなかった。
一般誌では描けないものをバリバリ描く。
クオリティは一切落とさない。
まるで水を得た魚のように。
これには驚きました。
仕方なく男女のカラミを描きました……という話ではありません。
海明寺さんが描くのは御存知のように特殊な畜化ファンタジーです。
海外のSM好きの間では定番で、リアルで人間犬、人間馬プレイを楽しみ、人間用の馬具まで売っています。
日本ではどうか? かなりマイノリティです。
同じ畜化幻想テーマでまとまった数の秀作を描いているのは毛野楊太郎くらいでしょう。
もちろんプロの作家ですから、計算はあるはずです。
しかし、芯の部分は「描きたい」「描かずには終われない」という意識に駆動されているとしか思えません。
直接面識はありませんが、担当編集者から聞いた感じでは、毛野楊太郎も同じです。
こういう作家がいるから漫画読みはやめられません。
他にも、描きたいことを描くためにエロ漫画誌や同人誌に描く漫画家がいます。
ある少女漫画家は同人誌ではスパンキングテーマの漫画を描いている。
またある少年漫画家は別ペンネームで、敢えて原稿料の低いエロ漫画誌でSMを描いていました。
もちろん最初からエロ漫画を描きたくて描きたくてプロになった漫画家も大勢います。
そうした漫画家には否応なく魂を揺さぶられます。
「あんたら、本気だな!」
勘違いかもしれません。
プロフェッショナルの技術に幻惑されているのかもしれません。
でも、魂が打ち震えるのは、どうしようもありません。
海明寺裕は描きたいことを描きました。
しかも恐ろしいことに、それを貫いた結果、海明寺裕さん個人の欲望を突き抜けて、極めてポリティカルな世界の姿が浮かび上がってしまいました。
それを海明寺さん自身が意図したかどうかは問題ではありません。
漫画に限らず、あらゆる表現、表象、対象は読者の脳内でデコードされ、再話されるからです。
読者が百人いれば百の物語が、世界観が、それぞれの脳内で解釈され、再構築されます。
海明寺さんの『K9』に代表される一連の畜化ファンタジーは様々な深度の読みを喚起します。
犬とされた人々の殉教者的でマゾヒスティックでナルシスティックな欲望。
人を犬として貶め、支配するサディスティックで暴力的な欲望。
そして、これらの欲望を担保するエロティックな社会制度。
さて、これは絵空事でしょうか?
我々が寄って立つ社会の制度と構造も実はエロティックな欲望に支えられているんだと読む解くこともできます?さて、皆さんの前には海明寺さんのわらばんしまんがが置かれています。
これは海明寺さんの作品のバックヤードであると同時に海明寺さんの脳内の世界であり、魂の深淵を覗き見ることができる窓です。
しかし、いくら興味深く、蠱惑的であったとしても、耽溺することは避けていただきたい。
最後に、定番の使い古されたニーチェのフレーズを引いておきましょう。
「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくお前を見返すのだ」と
■まだまだ夜は長い
その後、座談会的な展開となり、海明寺さんのペンネームのヒミツがさらに暴露されたり、海明寺さんの本を何冊も装幀している杏東じ〜なさんが乱入して
「暴れますよー」
と宣言しておいて、すぐに寝オチしたり、小杉あやさんの『ブリッコ』当時の貴重な証言が飛び出したりして大層楽しゅうございました。