「美術と表現の自由」美術評論家連盟主催2016年度シンポジウムで考える「美術の自由」

主催者側も驚くほどの入場者数。座席数をオーバーする300人以上が詰めかけた

主催者側も驚くほどの入場者数。座席数をオーバーする300人以上が詰めかけた

 2016年7月24日、東京都美術館講堂において、美術評論家連盟主催2016年度シンポジウムが開催されました。テーマは「美術と表現の自由」(リンク先はフライヤーのPDF)です。この背景には美術界、正確に言えば美術評論家の皆さんの持つ危機感の高まりがあるのでしょう。シンポを取材してみて、色々考えるところがありました。いくつかの事案は知っていましたし、風向きが変わってきたなという感覚もありました。そのあたりを含め、少し長めの前置きから書き始めます。

■かつて自由だった美術の自由
 2009年刊の『マンガ論争勃発2』の取材で、美術評論家の樋口ヒロユキさんに美術界の「表現と自由」について訊ねました。そこで初めて知ったのは美術の世界は格段に自由度が高いということでした。ただ、それは、座して与えられた「自由」ではなく、先人が勝ち取ってきた「自由」であって、単純な、
「芸術だから赦されるのだ」
「芸術は高尚だから何でもありでいいのだ」
 という話ではありません。
 美術界が瀬踏みをするように慎重に表現の幅を拡げ、社会との接点を保ち、美術界内部で厳しい批判と評価が行われ、その成果として2009年当時の「美術の自由」があったわけです。
 筆者は樋口さんのお話に感銘を受け、「漫画界もかくあるべきだな」と感じました。
 しかし、残念ながら、その「自由」は美術界内部に止まり、隣接領域を含む「外部」には拡張されませんでしたし、漫画界が「美術の自由」に倣うことも起こりませんでした。筆者個人もアクションを起こしたわけではありません。

 かくして時が流れました。
 筆者は依頼があれば美術作品を批評の対象としますが、専業の美術評論家でも研究者でもありません。漫画批評家であり、漫画系ミニコミ誌の編集者であり、外部の人間です。その立ち位置から現在の美術界を見ると、特権化されたアジールであると同時に外部から遮断されたゲットーでもありました。筆者にとって美術は興味の対象であっても、所詮は他人事だったのです。

 2014年末に刊行した『マンガ論争12』で筆者は「公権力がアート村に踏み込む時」と題した短い文章を書きました。そこでは2009年の「美術の自由」について、それが先人の努力の賜物であるとしても、公権力側の査定(表現が社会に与える影響力)が相対的に低かったからではないのかと指摘しました。

 2013年のレスリー・キー事件、2014年のろくでなし子事件、「これからの写真展」事件で公権力がワイセツとみなした表現に対してはアートだろうがなんだろうが踏み込んでくるんだというシンプルな事実の連打に美術界は「そうした事態に慣れていない」ことを露呈したように思えたのです。
 2014年10月5には、ろくでなし子事件に反応したシンポジウム「表現の規制と自由——ろくでなし子逮捕事件、そして、身体表現のポリティクス」(現代美術政治芸術研究会、毛利嘉孝研究室)が東京藝術大学で開催されました。シンポジウム自体は非常に刺激的な内容でしたが、当日撤回したとはいえ、当初は取材に制限を付けてしまうなど「慣れてない」感が大きかったのです。そうした経緯があって、筆者は「アート村」という挑発的な言葉を使いました。今思えば、美術界に対する無知と偏見がありましたし、羨望と嫉妬も間違いなくありました。美術界の表現に対する官憲の介入、あるいは美術館で起きたトラブルは見聞きしても、「アート村」の中で何が起きているのかまでは把握できていませんでした。壁は筆者の中にもありました。
 2014年10月という、ろくでなし子事件直後に、シンポジウムを東京藝大という象徴的な場で行ったことを含め、改めて評価すべきですし、そうすることが次に繋がっていくと思います。ちなみに今回のシンポジウムには毛利嘉孝さんもお見えになっていました。

 それにしても2009年から僅か7年の間に、美術の自由を巡る情勢が大きく様変わりしていることに驚かされます。
 『マンガ論争勃発2』の樋口ヒロユキさんへの取材では、ロリータ表現の頂点と位置づけられ、芸術分野では論争が終わっているとされた、写真家イリナ・イオネスコが自分の娘エヴァをモデルにして撮った一連の仕事が、2012年にエヴァによって児童虐待として提訴され、敗訴してしまうという大転換が起こりました。
 もはや、美術界も、そして何よりも写真界も孤高を保ってはいられない時代なのです。

 筆者は「表現系は一致団結して立ち上がれ」などと勇ましいことを言うつもりはありません。ただ、もっと情報を共有し、交流し、表現と自由について意見を交換した方がお互いの利益になるのではないかと言いたいだけです。

 異様に長い前置きになりましたが、次に美評連シンポの様子をご報告します。

■美術の自由と規制
 さて、シンポ当日。小誌取材チームは夕方からの別件が控えていたため、第一部のみの取材となりました。失礼な話ですが「(登壇者の)土屋誠一さんにご挨拶できればいいや」という軽いノリででかけたんですが、会場についてビックリ。
 開場30分前に地下講堂前には人が詰めかけ、もたもたしている間にたちまち長蛇の列となりました。主催側も最初の内は、協会関係者っぽい人と、
「お茶してきて大丈夫ですかね?」
「230席ありますから大丈夫ですよ。ごゆっくり」
 みたいな呑気なノリだったんですが、いやもう、次々と人が来ちゃって開場して10分もしないうちに満席になり、補助椅子出しても間に合わず、体育座りの観客まで出る始末。

 主催者スタッフが必死で人をさばいている状態で、土屋さんと接触するのは無理かなあと諦めかけていたところに、土屋さん登場。土屋さんは沖縄県立芸術大学勤務なので、こういう機会でないとご挨拶できないのでめったにないチャンスだったわけです。
 席に戻ると、目の前を女子現代メディア文化研究会の山田久美子さんと歌門彩弁護士が通りかかりました。まあ、誰か知り合いに会うだろうなと思っていましたが、「当事者」であるろくでなし子さんと山口貴士弁護士も来ていましたし、帰り際にはやはり「当事者」の会田誠さんとも出会いました。

山口貴士弁護士とろくでなし子さん

山口貴士弁護士とろくでなし子さん

 さて、いよいよシンポが始まりました。すでにtogetterで、みそむーおでん(@misoni_2013)さんのTwitter実況を中心にした『美術評論家連盟「美術と表現の自由」シンポジウム[実況]』(@misonikomioden)がまとめられており、また美術評論家連盟サイトで後日、音声起こしが公開されますので、詳細はそちらを参照してください。ここではtogetterと記憶と筆者の感じたことを加えつつ簡単に報告します。

 まず、モデレーターの清水敏男さん(学習院女子大学教授)の解説から始まります。清水さんは、『ここは誰の場所? おとなもこどもも考える』展(2015年7月18〜10月12日)における会田家(会田誠、岡田裕子、会田寅次郎)作品撤去問題、ろくでなし子事件、愛知県美術館の鷹野隆大作品への警察の介入事件、広島市現代美術館『ふぞろいなハーモニー』展(2015年12月16日〜2016年3月6日、刘鼎さんの『Liu Ding Karl Marx in 2013』が中国当局からの輸出許可が下りなかったことを理由にまともな展示ができなかった)事件、府中市美術館『燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡』(2016年7月16日〜9月11日、社会主義リアリズム絵画を美術館側「内容に偏り」を理由に展示を再検討した)事件を最近の事案として紹介し、美術評論界が「表現の自由」を自明のものとしてきたのではないか指摘。(ここでは公権力の介入以外の事案もあえて「事件」と書きました)。
 広島市美と府中市美の事案も知らなかったので、アンテナの低さを痛感。そもそも美評連が「国際美術評論家連盟日本支部(AICA JAPAN)」だったことすら知らなかったのですから話になりません。ただ言い訳になりますが、連盟の「表現の自由」への具体的な関わりは2015年1月26日の会員有志による「ろくでなし子氏に対する不当逮捕と起訴に対する説明と起訴撤回の要求」からと言っても過言ではないことを付言しておきます。
 つづいてパネリストが紹介されました。
 事例発表は5名・各15分。

林道郎さんの「ろくでなし子事件」に関する報告。手前の人物はモデレーターの清水敏男さん

林道郎さんの「ろくでなし子事件」に関する報告。左隅のシルエットが林さん。手前の人物はモデレーターの清水敏男さん

 トップバッターは林道郎さん(上智大学教授)で「ろくでなし子事件」の時系列と裁判について、自民党改憲案の第21条第2項についても踏み込んでいました。ろくでなし子事件については、先の「要求」(土屋誠一さんや椹木野衣さんが主導したそうです)の他、第一審判決直後の2016年5月14日に美評連有志により「不当判決への抗議声明」が出されています。またシンポ直前の7月4日には、「表現の自由について」声明が連盟会員有志によって発表されています。ただ連盟としての「表現の自由に関する基本的な声明」がなく、これについては、まだ「これから」のことだそうです。こうした事実からも、この件に対する美術批評家サイドの感心と高さと危機感をうかがい知ることができました。
 ろくでなし子事件については『マンガ論争15』にて弁護団の山口貴士弁護士インタビューを掲載予定です。また、林道郎さんは裁判でも証言に立ち、最近では『(耕論)性表現と法規制』(『朝日新聞』7月27日付)でこの事件について発言されています。

 二番手の土屋誠一さんは『東京都現代美術館における「規制」の事例』として、まず『ここは誰の場所? おとなもこどもも考える』展における会田家作品の内『檄』と、ビデオ作品『国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ』に対する「観客からのクレーム」「東京都庁のしかるべき部署よりの要請」を受けた、美術館の長谷川祐子チーフキュレーターと加藤弘子企画係長によって撤去要請がなされた事案、次に『MOTアニュアル2016キセイノセイキ』(2016年3月5〜5月29日)に出展した複数の作家・作品に対して改変要求が行われたことがのちに明かになった件について経緯を説明。
 前者については土屋さんと有志が撤去の撤回を求める内容証明郵便を送っており、その後、5月28日には連盟会長名で東京都現代美術館館長に公式見解を求める手紙「東京都現代美術館における会田家の作品撤去・改変要請問題に関する質問状」も出されています。しかし、公印も署名もない紙一枚が戻ってきただけだそうです。
 前者については当事者である会田誠氏自身がネット上で2015年7月25日に『東京都現代美術館の「子供展」における会田家の作品撤去問題について』と題して経緯を詳述しており、Twitterでも話題になったので知っている人も多いでしょう。後者については寡聞にして知りませんでしたが、ここでも長谷川祐子氏の名前が出てきます。美評連会員でもある長谷川氏が何故沈黙しているのかは謎です。

 三番目は中村史子さん(愛知県立美術館学芸員)による『2014年に起きた鷹野隆大作品の展示変更について』。これは愛知県立美術館における『これからの写真展』(2014年8月1〜9月28日)に出展された写真家・鷹野隆大さんの複数の男性ヌード作品に対して愛知県警が「わいせつ物陳列罪に触れる恐れがあるとして作品の撤去を指導された」という、まさに公権力の介入事案です。館側の団結と努力、そして作者自身の英断によって撤去ではなく、作品の一部を布で隠すことになったというドキュメントは興味深かったです。この件はネットでも話題になり、黒田清輝作品の腰巻き事件を連想させることから「平成の腰巻き事件」として有名になりました。布を被せるという手法が前近代的な公権力、あるいは刑法175条下での「表現の自由」というものを想起させる「批評行為」として新しい価値を付与してしまったというのも皮肉な話です。

 四番手は小勝禮子さん(元栃木県立美術館学芸課長)による『美術と表現の自由——ジェンダーの視点から』。こちらは90年代後半のアートマガジン『LR』、ミニコミ美術誌『あいだ』などで展開された美術にかかわるジェンダー論争、ゼロ年代に起きたジェンダーフリー・バッシング、2010年代のアジアとジェンダーに関する展覧会を時系列で紹介。ジェンダーやフェミニズムが即規制の対象となった事例はありませんが、それらに対する「無意識的」なミソジニー的反応を浮き彫りにします。
 ジェンダーフリーへのバッシング、教育委員会における禁止、バックラッシュについては知識としては知っていましたが、簡潔に整理していただけて参考になりました。
 また小勝さんは、ろくでなし子さんが「自称芸術家」と書かれた背景にはミソジニーがあり、鷹野さん作品の(警察への)通報者にはLGBT嫌悪もあったのだろうと指摘しました。
 
 最後は光田由里さん(DIC川村記念美術館学芸課長)による『大浦信行作《遠近を抱えて》(1982—85)をめぐる30年』。大浦信行さんの版画作品《遠近を抱えて》を富山県立美術館が『’86富山の美術』展に招待。4点を購入し、6点の寄贈を要請。計10点を所蔵することになったのですが、作品に昭和天皇の肖像をコラージュしたものがあったことから、県議会議員から異論が出、それが報道されたことによって騒ぎが拡大、右翼の街宣車が押しかけたり、展覧会図録が図書館で公開された当日に大浦さんの作品ページが破られたり、右翼団体幹部が知事に棒で殴りかかるという事態に発展。その間、県側は後退戦を続け、ついには作品を匿名の個人に売却し、在庫分の図録を焼却処分するという最悪の結果となりました。

 シンポでは事件/事案には、公権力の介入と美術館側の過度の自主規制の両方が採り上げられていました。最後の富山県立美術館事件では、右翼団体の抗議と同時に作品・図録の公開を求める市民団体の抗議もあり、公権力・美術館・民間が三つ巴になったわけですが、今回のシンポに欠けているのは、市民団体による撤去/自主規制を求める抗議活動ではないでしょうか? 2012年の『会田誠 天才でごめんなさい』展に一部のフェミニストが「女犬」の撤去を求めて抗議活動を展開しましたし、同じ年には在日特権を許さない市民の会などの抗議による『ニコン慰安婦写真展中止事件』も起きています。
 また、漫画・アニメ・ゲームとその隣接領域が美術評論家連盟の美術観からは外れているのかもしれませんが、美術館で漫画・アニメ・ゲームが展示されることも珍しいことではなくなっていること、ろくでなし子さんのように芸術家であると同時に漫画家である作家も少なからず存在することを考えると、美術界と漫画・アニメ・ゲーム界は交流を深め、互いの知見を共有すべき時がきているのかもしれません。

 別件の取材を入れていたため、小誌取材チームは第二部には参加できませんでしたが、togetterを読むと熱いパネルディスカッションが繰り広げられています。『マンガ論争15』は本稿をベースに改稿しますので、そこで補足できればと思います。

帰り道、都美館敷地内の喫煙所で会田誠さんと遭遇。

帰り道、都美館敷地内の喫煙所で会田誠さんと遭遇。


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