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■日晴社倒産! どっかーん!
永山 貯金が20万できたけど、頼みの綱の日晴社(※1)が潰れた……というあたりから始めましょう。74年頃の20万円って今でいうとどれくらいになるんでしょうか?(※2)
松本 いくらくらいですかねえ。
永山 一月の生活費から考えて。
松本 やっぱ10万円くらいいるかな。家賃がね、ウチは特別安かったけど、普通の家庭で1万5千円から2万円くらいかな。5万円あればなんとか一月暮らせたかな。20万だから4ヶ月分の生活費。
永山 俺が上京して神保町の写植屋で働いてた78〜79年頃は月給手取り11万円で、家賃1万2千円。ギリギリでした(※3)。会社辞めてライター生活始めたら月収5万。大阪出る時、100万円持ってたんだけど、見る見る減っていきましたね。ところで、さいとうプロの頃は?
松本 3万円くらい(※4)。
永山 家賃払ったら残らないじゃないですか。
松本 そうそうそう。家賃が1万ナンボで、食事したらほとんど残らない。
永山 その頃、先生、遊ばなかった?
松本 全然。酒もその頃はそんなに飲まなかったし。
永山 「飲む打つ買う」の「打つ」は?
松本 ギャンブルは今でもしません。
永山 「買う」は?
松本 たまに(笑)。でも、あれは虚しい。このために何ヶ月か働いたカネが……と思うとバカらしくなってくる。
永山 日晴社が潰れて仕事が激減したという展開なんですが、74年というとぼちぼち三流劇画ブーム。バイトやんないでも他から仕事が?
松本 いや、「仕事はこないし 金もない またバイトは辛いの〜〜」ってp114(原著)に描いている通りです。またバイト生活に戻るってのが辛かったですね。
永山 この不景気で漫画家がバイトしてますが、キツイと思いますよ。他人事じゃないんで。
松本 その前のページ(原著p113)でそのあたりのグチを。日晴社が潰れて、何度も持ち込み行って、またダメになっちゃう。さいとうプロから独立して4年目でまだ食えない。この頃さすがにすさみました。ちょっと不安になってました。
永山 日晴社の債権者会議で、元さいとうプロの津田さんと会った(原著p111)。
松本 たまたま実際に会ったんですよ。その後2社くらい潰れたかなあ。海潮社とせぶん社、全部で3社くらいかぶっちゃったかなあ。
永山 債権者会議に出て、原稿料回収できました?
松本 弁護士から3%送ってきた。
永山 数年後、チャリンチャリンと1500円(笑)。5万円の仕事が。
松本 虚しいですねえ。永山さんはそういう経験ないの?
永山 取り損なったのはトータルで4〜5万。(※6)。
松本 最近もいくつか潰れてるじゃないですか。みなさん、かぶっちゃってる。司書房(※7)とか平和出版(※8)とか。
脚註
※1:日晴社は60〜70年代に存在した実話誌、劇画誌の出版社。『任侠劇画』、「ハイエナ・ジャック」等を掲載した『コミックフラップ』(1973年7月1日号に掲載)、同誌増刊『実話スクープ』、『漫画情報』などを出版していた。
※2:消費者物価指数で考えると約2倍なので40万円相当(1974年の消費者物価指数は2010年を100として50.1、2013年は100)。大卒初任給で考えると約2.6倍(1974年:78,700円→2012年:201,800円)になっているので52万円相当になる。
※3:1978年の大卒初任給105,500円と比較すると悪くないように感じるだろうが、毎日残業5〜6時間やっていてコレである。
※4:1970年の大卒初任給39,900円より約1万円安い。しかも残業代はゼロに近い。
※5:ダーティ・松本作「美少女たちの宴」はせぶん社の『漫画ラブ&ラブ』からスタートし、同社の倒産によりサン出版の『劇画大飯店』に引き継がれたが、のちに休刊……。最後は久保書店の『漫画ハンター』にて完結した。せぶん社は他にグラフ誌『COQUETTE』、少女漫画誌『プリティプリティ』などを出版していた。同社倒産後、笠倉出版社が整理し、関連会社のセブン新社として引き継いだ。
※6:実際には200万強という大口があるが、そこからは150万前借りしているのでチャラになりかけている。
※7:司書房は桃園書房の子会社で、1948年に設立。『コミックドルフィン』などエロ漫画雑誌や『SMファン』や麻雀雑誌を出していた。2007年に桃園書房とともに破産。
↑『コミックドルフィン』最終号(2007年3月号)の表紙。雷門風太による表紙デザインについては(「雷門風太in竹工房」トップページを参照(18禁あり)。
※8:平和出版は『エロ魂!』の初期に登場する元・新星社。1960年設立。『まんが笑がっこう(→SHOW GAKKO)』などのエロ漫画誌、パチスロ雑誌などを出版。2005年に倒産。